耳を澄ますとき

だれかとの時間、こころに染み入る ことばの記録

INTERVIEW 僕ができてきた場所 橋本久仁彦さん

 

はじめに

【この記事は15分間のミニカウンセリング(未二観)形式でインタビューした内容を語り手の言葉はもちろん、周囲から聞こえてくる様々な音(人の話し声や自動車が通り過ぎる音、鳥や動物の鳴き声など)も含めて精密に記録し、そのうえで公開記事として必要と思われる編集をくわえた実験的な言葉のヒューマンドキュメンタリー作品です。

 インタビューの際、聞き手兼ライターである私はあえて語り手に質問せず、ただただ、その場をご一緒させていただくことに徹した。おのずと語りだされるその人の話を、そのまま最後のひと言まで聞かせていただこうとするうちに、ところどころ語り手のある言葉や発するエネルギー感に引き寄せられるように、同じ言葉を口にする自分がいた。それはカウンセリング技術としてのレスポンスとか、共感したからというわけでもなく、たとえば同じ時空間に在る2つの物質の振動が、なんらかの作用で共振する瞬間に近いような気がする。

 ひとつの作品として記事を公開するにあたり、この何らかの共振時に聞き手が口にした言葉までは明記しない。が、それは記事にしていくプロセスで、おのずとタイトルや小見出しになっていくような、語り手が見ている世界のキーワードとしての “圧” をもった言葉であることに後々気づくことが幾度もあった。

 記事執筆にあたっては、読者の意識をある方向性にいざなう編集や演出につながる書き手の意図(職業的にライターをやってきた者であれば誰しも身に染み付いているスキルであり、決して悪いものではないけれど、あえてこのインタビュー連載では外しておきたい)の出現に気づいたら、いったん立ち止まり思考をリセットして、インタビュー時に語り手と聞き手がいる時空間で起こった流れに両者が “運ばれていく”様子を、文章で再現するのに最適と思われる編集と演出のみおこなった】

 

 

 

「僕ができてきた場所」 橋本久仁彦さん

〜鉄橋をわたる電車の音とカモメの声が響く運河のほとりにて。

 

 

2019年2月下旬、大阪市の西部を流れる木津川支流のほとり。古くは毛利水軍織田信長軍の兵船を破った河川の要衝であり、豊臣家の軍船停泊所が造られてからは江戸時代、近現代にいたるまで運河として工場街に暮らす人々を支えてきた川の一部だという。近くに架かる鉄橋からは電車の通過音が響いてくるほか、大阪湾が近いこともあってカモメの姿も多く目につく。その日は時おり強く吹きつける北風が肌に冷たく、春の訪れはもう少し先であることを予感させた、薄曇りの午後3時過ぎ。この地が「僕ができてきた場所」のひとつであるという、円坐や影舞を長年実践されてきた橋本久仁彦さんにミニカウンセリング(未二観)形式でインタビューさせていただいた。

 

  

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 聞き手からひと言  本日はありがとうございます、貴重なお休みの日に。わざわざ(関東から)出張ってまいりました。では、これからの15分間は、くにちゃん(橋本久仁彦さんの愛称)のお時間とさせていただきます。わたしにとって、ここは初めての場所なんですが、くにちゃんにとって縁(ゆかり)深い場所に連れてきていただきながらのミニカン的インタビュー。非常に楽しみです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

この街の喧騒、そのリアリティと同じように生きてきた自分

 

 

橋本 はい、よろしくお願いします。今、アジャンタ(聞き手の愛称)にとっては「初めての場所」と聞いて、ちょっと新鮮で。そりゃそうだ、もっともだ、と思ったんだけど。なんか(まだ)しゃべってないんだけど、すでに自分が話す風景の中にアジャンタが入ってくれていて。今日は僕の縁の場所に行くって言った時点で、そしてこうして来て...(大きく息を吸う橋本さんの横顔の向こう側で、鉄橋を電車がわたる音が響く)ここへ来たことの大事さ、大事さかな....

 

だいたいこういうところに連れてくるって、家族か、つきあってる人でしょ(笑) でないと連れてこないよね。なんか知ってほしい、と。自分のこと知ってほしくなった段階の、つきあってる人を連れてくるもんで(笑) つきあい始めは梅田とか難波(どちらも大阪の繁華街)に行くけど。だんだん親しくなってきたら、やっぱりお互いの、あんまり人を連れていかんけど懐かしい場所とか、自分の育った場所.....自分ができてきた場所っていうかな。

 

そういう場所ね(ふたたび電車が鉄橋をわたる音)ちっちゃい時もあの電車の音を聞いて、このあたりにいた気がする。そういう自分が小さい頃から今まで、という....なんか、それが自分のすべてだと思う。自分というものが “我” をつくってきたわけだけど、その、たぶん、あと何年か、何十年かしてね、僕が死ぬとき、寝たきりになったときに、いろいろ思い出すときに、必ずやこのことを思い出すだろうし、それは一人でというよりは家族とだったり、アジャンタと来たり、そういうのをアルバムめくるように思い出すと思うんだよね。

 

(同じ川べりを歩く男子高校生たちの笑い声が響く)

 

それが自分の中身だと思うんだよね。うん、僕自身はボケていったり、死ぬときに...まだ死んでないからどうなるかわからんけど、まあそういう記憶からはおそらく離れるというふうに思ってるんだけど、この橋本久仁彦という呼び名で、父親と母親、特定のね、親に思われて、特定の場所に、そしてこの時代に生まれたから(工事中のマンションからカンカンカンという金属音)こういうふうに生きるしかなかったという自分の履歴というか、跡というか(鉄橋を電車がわたる音)うん、自分のかたちがね(ここに)あって。それが大事だと思うんだよね。

 

僕は瞑想とかも関心があって勉強したけど、あとセラピーもね(少しの沈黙)僕にとっては、瞑想的であるということは(近くの幹線道路を通るバイクの強いアクセル音)他のまわりのもの、まわりの音(強い北風の音)車やら電車やら、そういう音、喧騒....聞こえてくる街の喧騒、このリアリティと同じように生きてきた自分ていう。

 

これを言葉にしたら “表象”って言うんですかね。言葉で、こう音のかたちにしてアジャンタに伝えるとイメージのように伝わるわけだが、イメージが伝わるとしたら(鉄橋をわたる電車の音が響くなかで)形はないのに、ある種の映像としてアジャンタは受け取ってくれるわけで。もし映像として受け取ってくれてるとしたら、それって(映像は)光と影でできているから。たとえば映画って光と影が集まってできているでしょ。実際にはスクリーンしかないのに、そこに光と影をあてることで、まるでそこに人がいるように見えて僕らはドキドキしたりするわけだ。

 

ある種の説明の仕方だと「そこにはスクリーンしかないんだから、そうやって映像を観てる姿は “幻想” だ」というふうになる。でも、そういう言葉を使うのは...(少しの間合い)早すぎるというか、そういう言葉を使う人もいるが、僕自身は “幻想” がそこにあるということを、すごく大事に思っているんだよね。

 

 

 僕は “幻の力”って凄いなぁと思ってる

 

われわれが幻想だと思うんだけど。つくり上げてきているからね、この幻想を生きているから。人間て面白いというか(うしろの小道を「あははは」と笑い声をあげて通りすがる、さっきとは別の男子高校生たち)この幻想を外すと人間ではなく他のものになるわな。で、そうした “人間” に(僕は)惹かれるところがあって。

 

小学生のとき初めて梅田にシネラマ式の映画館ができて、音とか立体的に聞こえて。今はもう3Dっていう時代ですけど、(当時観た映画では)こう、音が向こうから(スクリーンの奥から)汽車が来たらブワーッと煙が立って。そのとき(観客の)おばあさんたちが思わず手で口をふさいだという(苦笑)そういうウリの映画があってね。

 

ほかにも(米国俳優の)メル・ギブソンイエス・キリストの映画を作ったことがあって(『パッション』2004年公開)キリストがこう、かなり残酷に拷問受けるシーンがあって。それを観た老婦人が心臓マヒで死んだ、とかね。そうすると(映像は幻想だという考え方からすると)その人は白いスクリーンに映ってる“幻”を観て死んじゃったことになる....(少しの沈黙)

 

僕自身はこの“幻の力”って凄いなぁと思っていて。みんな、この幻で死にもするし(近くのビルの駐車場から車が出庫されるときの注意喚起ブザーが鳴る)話はいろんなところに行くけど(医療の現場では)普通は患者に麻酔をかけて手術をする。でも中国の気功などで治療する人はイメージを使う。患者に「あなたの右手は肘までバケツの水に入っています」とか「そのバケツには氷がいっぱい入っていて、コロンコロンという冷たい氷の当たる音も聞こえてきます」なんて言っているうちに、患者の血流が落ちて皮膚の表面温度も下がって。それで手術するということに使われたりもするから...

 

(カラスやカモメの大きな鳴き声が響く)

 

僕自身は、このイメージ(幻)というのは瞑想で簡単に....その“抜けられる”みたいな考え方には反対で、むしろこのイメージと幻想によって世界はできている、と。(ゴーッと強い風の音)で、そのことに敬意を払いたい。「幻想は危ない」みたいな考えには、あんまり与(くみ)したくない。「この世は幻想だ。真実はある。だから瞑想するんだ」とか、それを一番最初に(悟って)言った人ならまだしも、誰かの後追いで言っているとしたらそのこと自体.....二重写しの鏡みたいな幻想に思える。

 

僕にとっての真実は「幻想はある」ってことなんだよね。この幻想で、映画を観てて心臓マヒを起こす人もいるし、汽車が向かってくるシーンを観て(煙の映像に)コホンコホンと咳をする人がおったりね。そういうおばあちゃんたちが大好きなの、なんか知らんけど。もうこれ理由なく掛け値なしに、大好きなの。

 

そりゃそうだと思うわけだ、この幻想だって(そのおばあちゃんたちにとっては)本当に見えるから、それを一生懸命に生きるということで、幻の人生を生きているとしても、懸命にこう喜怒哀楽で生きてるという.....そこに懐かしさを覚えるし、そこが僕の居場所だし“ふるさと”だと思うし、仲間たちはそこに大勢いるという。

(カラスやカモメの鳴き声、スズメたちの高らかなさえずりが響く)

 

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それで、自分(のこと)に戻ってくると、ここで(こうして)鳥の声聞いていて。これは2年前に死んだおふくろと、ここに座って聞いていたような鳥の声で。本当に聞こえる鳥の声とか川とか、ガタンガタンと電車が走る音とか、このリアリティと同じように隣におふくろがおって(カラスがカアカアと鳴く)おふくろと生活のことを語り、体調のこと語ったり、最近のこと語ったり、時には妹もここにおることもあって。

 

妹とはよう喧嘩して、妹の言うことにカアッとしたり。しばらく時間が経つと(鉄橋を渡る電車の音)おふくろは、また死んだおやじのことしゃべったり、さらに話題が広がってうちの息子の小さいころのことしゃべったりね。時間がどんどん広がって....

 

 

幻想がそこに在ってくれた、と

敬意をもって頭を下げることで初めて幻想を後にできる

 

 

そうすると、うちの息子が小さいときも、そこの橋のところまで息子を連れていったことがあった....そういうことも思い出したり。その電車の音なんかはリアルで、今(そこを通った)のは今ある電車なわけなのに、僕の中では息子がまだ4歳とか5歳のときだから20年前の電車の音と、やっぱり重なって聞こえてくる(電車が通過するゴーッという音がますます響く) で、これを“幻想”というふうに言ってほしくないんだよね。

 

(突如、近くで救急車のサイレンが鳴りだす) 

 

それはそう(幻想)かもしれないけど、この思いの中で僕は生きてきてるし。この思いがないと“橋本久仁彦”というものがトータルに崩れてしまうから。僕自身は瞑想とか、悟りとか、成長とか、自己実現とか、エンライトメントとか....そういうものに、本当に僕自身が価値があると思って、本当にそれを見たいと思うなら、本当にエンライトメントというか悟りとかは....人間の到達すべき....あるいは人間の本来の姿だと思うし、一度生まれた人生だから(その境地に)触れたい(救急車のサイレンますます大きく)と僕は思っているが、そう思うなら逆説的ではあるが、この幻想というもに敬意を表したい、この幻想を生きているという。

 

しっかり幻想を幻想したい....自分自身が丸ごと幻想でできているという、この了解なくしては目醒め(悟り、エンライトメント)には到達しないと思うね。自分自身が丸ごと幻想である、幻想でできているということ。そこ(幻想)から外れるためにとか、悟るためにとか、気づくためにじゃなくて(ここで15分経ったことを知らせるタイマーが鳴る)幻想そのものをね、そこに在る....と、あらしめたい。それが僕にとっては「幻想に目覚める」というか、幻想がそこに本当に在ってくれた、と敬意をもって頭を下げることで初めて幻想を後にできる、と。

 

(一羽のカモメが私たちが座るベンチ前の柵に降り立ち、聞き手のわたしが「15分経ったことを告げに来たかのような」と思わずつぶやく)

 

ほんとうやね。(橋本さん、手にしていたビニル袋からスナック菓子を取り出しカモメに与える)じゃあ、次の場所に行こうか。インタビューって面白いね、なんか関心あるな...

 

 

【橋本久仁彦さん / 1958年大阪生まれ】

大学卒業後、教育現場で「教えない授業」を10年実践されたのち、数十年にわたり欧米のさまざまなカウンセリングやセラピーアプローチを探求されてきた。なかでも生身の人間どうしの有機的な “出会い” を見届けていく非構成的エンカウンターグループにかけてこられた時間と熱量は、わたしなどの想像の域を超える。近年ではそのエンカウンターの場でさえ「やりきった上でなお、肚落ちしていない自分がいた」(ご本人談)という。そして、より日本人としての感性に立ち還って人間主体の世界観を一度手放し、生活環境(自然)や人生の予期せぬ出来事の中でこそ、初めて生かされる人間の有り様を見つめていこうとする独自の場づくりをデザインしてこられた。

それが【円坐】という場であり、そこに集う人たちがたどる道往きを見守る者を守人(もりびと/エンカウンターグループでいえばファシリテーター的立場)と呼び、その在り方として大切な、目の前の人の話を“そのまま聞く”ことの研鑽となるミニカウンセリング(現在は「未二観」と呼ばれている)のクラスも提供されてきた。

 

 

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