耳を澄ますとき

だれかとの時間、こころに染み入る ことばの記録

EVENT 師走の妙高「 寒立(かんだち)の円坐」 のこと。

 

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あれから、いろんなイベントがオンライン化され、外に出れば人との“社会的距離”を少しばかりぎこちなく取るようになった。が、けっこうな頻度でマスクを持って外出するのを忘れてしまう自分もいて、そのたびに「やれやれ」とため息をつきながら、毎晩手洗いする習慣がついた綿のマスクを取りに戻る。使い捨ての市販品は肌がひどく痒くなるから、しばらく前から使っていない。

 

マスク無しで出歩くと身の置き場に困り、人と人が物理的に近づきにくい不自由な世の中になってしまったけれど、この年末、オンラインではなくリアルに「円坐(えんざ)」の合宿を開催する、と決めた。

 

場所は越後富士の異名をもつ妙高山のお膝元、新潟の妙高高原。12月中旬だから雪化粧したお山がのぞめて、暖冬でなければ麓(ふもと)にも雪景色が広がっていると思う。体の芯から温まる源泉掛け流しの温泉と、心もお腹も満たされる素朴な田舎料理でもてなしてくれる家庭的なお宿で、8日間にわたって円坐という場をひらく。

 

すでに今年1月には現地の下見をして宿のご主人とも打ち合わせを済ませ、企画は順調に進むはずだった。が、その矢先に世界中が見えないものの脅威にパニックに陥った。今だって、どんなに気をつけても感染のリスクを拭いきることは難しい。開催を中止するかどうか、悩まなかったと言えば嘘になる。

 

それでも、再び緊急事態にならないかぎり「やる」と決めた。

  

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 円坐(えんざ)とは、その日、その時、その場所で、集うことを約束しあった者同士が、文字どおり円になって座り、決められた時間をともに過ごす。

 

座っているうちの一人(場合によっては二人いることもある)は守人(もりびと)と呼ばれ、場の始まりと終わりの時刻をつかさどり、円の中で語られるすべての人の言葉に耳を澄まし、そこで起こる誰かと誰かの成り行きを最後まで見とどける。

  

一般のワークショップやセミナーのように決まったプログラムがあるわけじゃない。守人がファシリテーターや講師、セラピストのように参加者たちを一定の目的のために気づきや成長、癒しを促すこともない。

 

ただ、ひたすらに、その時、その場で無秩序的に交わされる参加者たちの言葉を、なんなら発しようとして飲み込んだ言葉の面影まで、彼らの存在からほとばしる有形無形の一言一句を聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 

そうした中で何が起こるのか。正直、だれにも分からない。

 

分からないけれど、少なくともわたしの経験では、そこでかかわった他者とのやりとりをとおして、自分の本性があらわになる。相手のそれも目撃することになる。

 

人と人が本気でかかわり合えば、美しさもあるが胸がヒリヒリするような場面だって当然ある。だから円坐が「怖い」という人は少なくない。

 

けれど、一方で「怖い」と感じながらも、円坐に来続ける人も少なくない。怖くても、その身そのままの自分で、だれかと互いの存在の重みを実感し合える機会を、わたしたちは実は欲しているのかもしれない。それは、本気で愛し合える相手を求めることに似ている、とも言える。

 

 

コロナの時代、「リアル」なやりとりに制約が課せられ、あらゆるイベントにおいてオンラインにおけるリアリティが追求されはじめた今、こんな“泥くさい”人間論的な話は時代遅れだろうか。

 

いや、オンラインとかリアルとかいう二極的な視座自体が、もはやさほどの意味を持たなくなってきていることを、わたしたちは薄々感づいているんじゃないか。

 

オンラインだろうが、リアルだろうが、もう関係ない。

社会的距離があろうがなかろうが、本当はもう自他共に嘘も虚勢も直感的に分かってしまうのだ。これまでただ、見ない振りをしてきただけのこと。

 

自分は本当は何を大切にしたくて、だれと一緒に生きて死んでいきたいのか。

そう感じる、自分とは何者なのか。

大切に想う他者との真剣なかかわりをとおして、自分の本性や本音を知る。

 

それをあえてリアルな接近空間で、やる。

 

 

円坐でそれを知れるかどうかは個々人の在り方によるし、そういうのは重いし面倒くさいし知る必要あるの? というスタンスも全然アリだと思う。わざわざ自分から円坐に足を運んでおいて怒り出す人もたくさん見てきた(かつてのわたしもその一人。笑)

 

どんなキッカケであれ、どんな感情や感覚を抱いたのであれ、8日間という長い円坐に飛び込めるチャンスは、今年これ1回かぎり。宿泊施設内での“社会的距離”を保つため、募集定員を減らして参加者を募っています。

 

気になって仕方がない方は、脆くて強い生身の人間のまま、マスク持参で冬の妙高までいらしてください。

お待ちしています。

 

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最後に、この円坐合宿のタイトルにある「寒立(かんだち)」とは、寒い冬の日に山の崖っぷちにカモシカが長時間じっと立ち尽くしている「アオの寒立ち」という行動からヒントを得たもの。

 

「アオ」とは、またぎ(山間部で古い猟法を守って狩りをする狩猟者)の言葉でカモシカのことだそう。カモシカは好奇心が強く、人間のこともさほど怯えないという。

 

野生の彼らの寒立ち行動も、深い森を彷徨う者たちの動きをじっと辿って(観察)しているのかもしれない。円坐にのぞむ人々の姿に、重なるところがありそうです。

 

 

2020年12月12日(土)〜19日(土)7泊8日

【冬の妙高8日間  寒立の円坐 〜 守人 橋本久仁彦〜】

 

※本イベントは終了しました。