コロナをめぐって世界が激しく揺さぶられた2020年が暮れようとしている。
今年ほど自分の大切な人たちが、それぞれの場所で “無事に生きている” というだけで嬉しさと有り難みがこみ上げてくるような日々は近年なかった。
人とリアルに触れあえない期間をとおして、相手がそばにいないことの寂しさを味わった年でもあった。大切な人と会えない事実を直視するのは、相手の存在の “重み” をしっかり感じるということ。相手と離れていても、自分の中にその人が一人の愛すべき人間として居ることを感じられるのは、実はとても豊かなことなのかもしれない。
こういう時、寂しさを埋めようと安易にオンラインで繋がろうとすると、相手との関係において絶対的に大事なポイントを逃しかねないことにも気がついた。
「現代の人は “他者”を見失ったんだと思う。他者を“情報”だと思っている。だからSNSで穴埋めをする。実際にその人に会えないなら、むしろ会えないことの寂しさをちゃんと感じる。それが相手の尊厳に基づいて大事にしている、ということだと思う。会えない、というのは寂しいことなんだ。その人に会えないというだけで、自分の人生が何か欠けたように感じる。それで当然なんだよ。それが他者の重さ。適当に情報のやりとりをしてSNSで満たしあった気になっているのは “他者不在” だからだと僕は思う」
こう語るのは、橋本久仁彦さん。長年の教師やグループファシリテーター経験を超えて、非構成的エンカウンターグループを日本人独自の感性から再構築した円坐(えんざ)の守人(もりびと)として全国各地をわたり歩かれている。今回、コロナに翻弄された2020年を振りかえるインタビューに応えていただいた中の一節。
その橋本さんに8日間にわたって守人を努めていただいた新潟・妙高高原で開催した《寒立の円坐》合宿が今月、冬至直前に終了した。
年の瀬にむけてコロナ関連の情勢が深刻化する中、感染症対策に出来うる限り取り組み、宿泊先のオーナーファミリーのご協力をいただきながら、各地から集まった十数名の仲間と1週間の合宿を無事に乗り切ることができた。終了から約2週間、幸いにも関係者のみなさんに感染症らしき症状はあらわれていない。
例年ならば、この良質なパウダースノウを求めて世界各地からスキーヤーが訪れる妙高高原。今シーズンは外国人観光客はもちろん、日本人すら疎らだ。
いまだかつてなく、この美しい観光地から人の気配がなくなり、あたりが静まりかえる。ときおり屋根に降り積もった雪が雷鳴のような音をたてて落ち、わたしたちが円坐を繰り返す部屋はどんどん雪に覆われていく。
まさに雪に閉ざされたような空間で繰り広げられた数十回にわたる円坐や影舞。そこで起きた人間模様は、えげつない(容赦ない)ほどにわたしたちの本性を浮き彫りにした。
どんなにリアルに人と触れ合おうが、どんなに他者を求めていようが、自己の中で相手の重み(尊厳)を見失っているかぎり、その言動はあくまで独りよがりであり、思いは他者に伝わらない、という現実。
自戒をこめて、このことははっきり書き留めておきたい。
単に自分を見失うんじゃない。相手のことをちゃんと見ようとしないから、自分のことも分からなくなるのだ。これからの時代、もう独り言をつぶやいている時間はない。
どんなに不器用でもいい。相手の“重さ”を感じて生きようとする在り方は、自己犠牲ではなく他者を真に愛すること、同時に自分を愛することに必ずつながる。そう在ろうとする人の言葉は、だれかの心に伝わる。わたしはそう強く、信じる。
わたしたちの行く末は、だれしも独りで死んでいく。だが、これは圧倒的事実でありながらも現実的ではない。わたしたちは独りで生きて死んでいけるほど強くないからだ。
わたしたちが生きて死んでいくには、大切な人たちとの “ホンモノ” の関わりあい、愛しあいが必要なんだと思う。ならば尊厳ある相手に伝わるように、まずは自分の尊厳(真実)から言葉を紡いでいく、行動を現していくしかないんじゃないか。
まさに名実どおりとなった “寒立の円坐” で、わたしが当事者としても目のあたりにしたのは、他者との関係を真剣に生きることだった。
最後に、このコロナ禍において本合宿の開催にあたりご尽力下さった関係者のみなさま、そして健康面のこと、ご家族のこと、お仕事への複雑な思いを抱えながらもご参加くださったみなさまに心より感謝申し上げます。
想像以上に大変だった2020年最後のご挨拶にかえまして。
本年お世話になりましたみなさま誠にありがとうございました。
2021年もみなさま健やかにご自身らしく過ごされることを祈りつつ。
どうぞよろしくお願いいたします。